【ミシン】パイン100種30型:145円
国産最初の家庭用標準型ミシン「パイン100種30型」を発売。下糸機構に垂直半回転式を採用し、作業能率が飛躍的に向上しました。
当時の様子
- ロングスカート、パーマネントが流行。
- ラジオ放送が開始され、家庭にラジオが普及。
- 昭和4年頃の初任給は、50~60円。
パインミシン株式会社を設立。翌年には社名を国産パインミシン株式会社に変更しました。
正真正銘の純国産「パインミシン」に自信を持っていた小瀬は、あえて社名に「国産」の2字を冠しました。
中野に新工場が完成。
敷地内にミシンと洋裁の普及を目的にした全日制の「日本洋裁学校」を設立しました。
商号を「帝国ミシン株式会社」に変更。「蛇の目ミシン」を商標として登録しました。
「正真正銘の国産ミシン」との誇りを持ち、あえて日本名の「蛇の目ミシン」の名を選びました。
直営支店網の制度確立と拡大を開始しました。
国産初のミシン量産工場である小金井工場が竣工しました。
※建物の写真は当時のものではありません。
【ミシン】102型:23,000円
戦後の混乱の中、ミシン業界において「ミシン製造会」が発足。
当初帝国ミシン(当社の前身)の代表だった前田増三の呼びかけで、国産家庭用ミシンの規格寸法が統一されました。
このミシンは「家庭用HA-1型」と呼ばれました。
当時の様子
- 湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞(1949年)
- 昭和最高のベビーブーム。
- 1949年お年玉つき年賀はがきが発売。第1回特等賞の賞品はミシンでした。
- 当時の初任給は、3000円(大卒国家公務員)ほど。
昭和10年来の標章を取り入れ、商号を「蛇の目ミシン株式会社」に変更しました。
【ミシン】320型:24,000円
戦後初の大ヒット商品。高速度運転に耐え、摩擦音や振動も少なくなりましたが、特筆すべきはそのデザイン。工業デザイナー小杉二郎氏による近代的な外観は、「第2回毎日工業デザインコンクール」で特選第一席に選ばれ、各社がミシンのデザインを競う時代の口火を切ることになりました。
当時の様子
- テレビ放送が始まり、街頭テレビブームに。
- シネマ・ファッションブームにより、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンのヘップバーンカットが流行に。
- 当時の初任給は、5000円(大卒銀行員)ほど。
メーカー色をより強く打ち出そうと、商号を「蛇の目ミシン工業株式会社」に変更しました。
蛇の目製品が業界初の「JIS規格合格品」に指定され、JISマークの表示が許可されました。
当時101年の歴史を持ち、アメリカで三大ミシンメーカーのひとつだったニューホームミシン(現:ジャノメアメリカ株式会社)を買収しました。
【ミシン】560型:40,000円
フルオートジグザグミシンの登場。
手でレバーやダイヤルを動かすかわりに、カムという部品を利用して模様縫いが可能になりました。
ボタンホール、ボタンつけ、くけ縫いなどもミシンでできるようになり、「ジグザグブーム」を呼びました。
当時の様子
- 1960年代は、アメリカ東海岸の名門8大学アイビーリーグに伝わるファッション「アイビールック」が大流行。
- 1962年(昭和37年)世界初の有人宇宙船が地球一周に成功。
- 当時の初任給は14,200円(公務員上級職)。
東京・大阪証券取引所第1部に株式上場しました。
【ミシン】670型、ハイドリーム:40,000円
東京オリンピック開催を記念して発売された「ハイドリーム」。
業界初の自社生産による軽合金ダイカスト製。
操作法もダイヤル方式でまとめ、画期的な完全自動機構を備えているうえ、重量も従来の2分の1という軽さで、歓迎されました。
当時の様子
- 1964年(昭和39年)東京オリンピック開催。大会史上最多の94ヵ国が参加。
- 1964年(昭和39年)首都高速、東海道新幹線が開通。
- 当時の初任給は19,100円(公務員上級職)。